みなさん、こんにちは〜!
2016年4月に34歳という若さにも関わらず、三重県の国民健康保険志摩市民病院に就任した江角悠太医師。
就任後の2018年には、赤字を2億円ほど減少させるなど病院改革を進めてきました。
たった2年間で2億円も減少させるのは、凄いことですよね!
並大抵の努力では出来ない思います!
そんな江角悠太医師についてご紹介していきます!
それでは、ご覧ください!
どうぞ!
江角悠太医師の経歴や評判は?
早速ですが 江角悠太医師の経歴についてです。
2000年 東京都都立西高等学校 卒業
2009年 三重大学医学部 卒業
沖縄徳洲会 中部徳洲会病院 初期研修
離島研修(宮古島、徳之島)
2011年 三重大学家庭医療学総合診療科 後期研修
亀山市立医療センター 内科
三重大学医学部付属病院救命救急センター
名張市立病院 内科
県立一志病院 家庭医学科
2014年 PEACE BOAT(Ocean Dream号)客船医
2014年 国民健康保険 志摩市民病院 内科
2016年 国民健康保険 志摩市民病院 院長 引用 国民健康保険志摩市民病院HP
江角悠太医師の改革の中で「どんな患者も絶対に断らない病院」というスローガンを掲げていたようです。
この言葉を聞くだけでも江角悠太医師の強い気持ちが伝わってきますよね?
病院改革には、研修生の存在が大きかったと言っています!
研修生達は、離島の方々のお手伝いを率先して行っていたようです。草刈りをしたり、電球を交換したり、時には一緒にご飯を食べたりと地域の方々との交流を大事にされていました。
病院と市民の方々との一体感が生まれたのでしょう!
もちろん、言うまでもなく評判は最高に良いでしょうね。
高校時代は父と不仲?
そんな江角悠太医師ですが、高校時代は退学寸前の問題児だったようです。
父とは不仲だったのでしょうか?
転機が訪れたのは、映画「パッチ・アダムス」を見てからだと言っています。
実際の医師をモデルにした作品で、自分もこんな医師になりたいと思ったみたいです。
ただ勉強をあまりしていなかったので、中学レベルの事から学んでいったようですね。
その後は、2浪の末に無事に三重大学医学部に合格しました。
相当な苦労をしたのでしょうね。
まとめ
今回は、江角悠太医師の経歴や評判、高校時代の事についてお伝えしてきました。
一度は目標を見失っていたようですが、1つの映画を見て人生の転機が訪れたようですね。
こらからも、たくさんの方々の命を救っていくことでしょう!
それでは、この辺で!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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